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大阪高等裁判所 昭和37年(ネ)1144号 判決 1964年5月29日

控訴人(被告)

東播商事株式会社

被控訴人(原告)

金田久子

外一名

主文

原判決を左のとおり変更する。

控訴人は被控訴人金田に対し金九万円、被控訴人村井に対し金五万円、及びこれに対する昭和三三年一〇月三日以降各完済に至るまで年五分の割合による各金員を支払え。

被控訴人等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ、被控訴人金田と控訴人との間に生じた部分は控訴人の負担とし、被控訴人村井と控訴人との間に生じた部分はこれを二分し、その一を被控訴人村井の、その一を控訴人の各負担とする。

この判決は主文第二項に限り、被控訴人金田において金三〇、〇〇〇円、被控訴人村井において金一五、〇〇〇円の各担保を供するときは、夫々仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人等の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人金田代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠の提出援用認否は、

被控訴人金田代理人において、予備的請求原因の補充として、「被控訴人金田は、昭和三二年一二月末頃中島栄に対し金一〇万円を貸付けた上本件手形一通を取得したのであるが、同人から利息として金一万円の支払を受けているので、結局服部正憲の手形偽造行為により金九万円の実害を被つたものである。」

と述べ、控訴代理人において、「服部正憲は、昭和三一年末から昭和三二年五月二日頃まで控訴会社の手形係として、手形作成準備業務(控訴会社備付の手形用紙に振出人、満期を除く他の手形要件を記入する業務)に従事していたのであるか、昭和三二年五月三日以降は右手形係を免ぜられ、専ら帳簿付けや控訴会社代表者の使者として手形を銀行に持参する程度の職務に従事していたに過ぎない。従つて本件手形偽造当時同人は既に手形係を免ぜられており、手形作成に関する実務には一切関与していなかつたものであり、しかも会社の手形用紙を使用することなく中島が持参した手形用紙を用いた上、会社代表者保管の印章を盗捺して偽造したのであるから、服部の職務の性質上、本件手形偽造行為は、服部の当時の実務そのものでなく、且つその業務の性質上通常行なわれ難く、控訴会社の業務の執行とは何等関係のない為である。なお、被控訴人金田と中島栄との間に金九万円の授受のあつた事実は認める」

と述べ、<証拠関係省略>たほか、

原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

理由

第一、先ず被控訴人等の本位的請求(手形請求)について判断する。<証拠>によると、被控訴人等が現に所持する本件手形二通(甲第一号証の一、二)は、控訴会社社員服部正憲が、後記認定の経過を以て控訴会社代表者印を盗捺して作成偽造したものであり、控訴会社代表者の意思に基いて振出されたものではないことが認められ、右認定を覆えすべき証拠もないから、振出名義人たる控訴会社に対する本件手形金請求は、その余の判断を経るまでもなく失当である。

第二、そこで被控訴人等の予備的請求(民法第七一五条に基く損害賠償請求)について判断する。

(A)  先ず、服部正憲が昭和三二年当時控訴会社の被用者であつたことは、当事者間に争がなく、<証拠>を綜合すると、左の事実を認めることができる。

(一)  服部正憲は昭和三〇年一〇月頃控訴会社に雇用され、当初は会社の会計係中の記帳係を担当していたが、昭和三一年末頃からは手形割引等についての銀行との交渉や、後記の如き手形係として会社振出手形の作成準備業務を担当する様になつた。

(二)  当時控訴会社において正規の手形が振出される手順は、先ず営業係から会計係(昭和三一年末以降は服部が担当)に手形発行依頼の伝票が屈けられると、手形係はこれに基いて、会社代表者から交付を受けている手形用紙に、満期と振出人欄を除いた部分の手形要件を記入し、これを会社代表者の手許に差出し、代表者が自ら満期を決定し、振出人欄に控訴会社及び代表者名の記名印(ゴム印)並びに会社角印を押捺し、その名下に代表者印を押捺した上これを手形係に交付し、手形係は右手形に満期を記入し取扱者たる手形係の割印を押捺し、手形支払台帳に記入して支払先等へ交付していた。

(三)  右会社名及び代表者名の記名印や代表者印は、会社代表者において直接保管に当り、夜間及び休日は代表者が会社の金庫に収納してその鍵を自ら保管し、会社の執務時間中は代表者の机の上の印箱(別紙図面印箱)の位置に入れて使用していた。

(四)  服部は昭和三一年末以降会計係中の手形係として別紙図面の机で執務していたが、昭和三二年五月初頃無断欠勤をしたため会社代表者から従来の手形係を免ぜられ、別紙図面の机で執務することとなり、その後は笹倉治が服部に替つて手形係を担当し、同人が別紙図面の机で前記のとおりの手形作成準備業務を行なう様になつた。(乙第一号証の一によれば、服部は別件訴訟において、昭和三二年一二月頃まで手形係を担当していた旨供述しているか、右は前掲証拠に照して措信することが出来ない)

(五)  服部は昭和三二年五月以降手形係を免ぜられたものの、依然会計係の事務を担当し、会社の総勘定元帳、補助簿等の帳簿記入や、予め会社代表者が銀行と折衝して割引を決定していた手形を、代表者の使者として銀行に持参する等の職務に従事していた。

(六)  これより先昭和三二年二月頃、服部はかねて知合の中島栄から、同人の父中島伊三郎の金融をはかるために、控訴会社振出名義の約束手形の無断振出の依頼を受け、昭和三二年二月頃から昭和三三年一月初頃までに至る間約一〇回にわたり、中島から市販の約束手形用紙の交付を受け、執務時間中に会社代表者が机を離れているにすきを見計つて印箱の中から擅に印鑑を取出し、右手形用紙の振出人欄に控訴会社名及び代表者名の記名印、会社角印を押捺し、その名下に会社代表者印を勝手に押捺し、(中島から交付を受けた手形用紙は、白紙のものと手形要件が既に記載されているものとがあつた)これを中島に交付する方法を反覆して、右期間内に合計約六、七十枚の控訴会社振出名義の約束手形の作成偽造を遂げた。

(七)  被控訴人等の所持する各金額一〇万円の本件約束手形二通(甲第一号証の一、二)は右反覆偽造にかかる分のうちの二枚であるところ、これが現実に何時作成されたかは必ずしも審らかではないが、右各手形には「笹倉」なる割印があること(但し<証拠>によると右割印は中島栄が偽造したものと認められる)から考えると、手形振出日付である昭和三二年一二月二五日(甲第一号証の一)及び同月一一日(同号証の二)頃に、夫々作成偽造がなされたものと推定される。

(八)  中島栄はその後、本件手形二通を真正なものの如く装つて、情を知らない被控訴人等に交付し、被控訴人等から夫々金員の交付を受けた。

以上の事実を認定することが出来、右認定を左右すべき証拠はない。

(B)  そこで、控訴会社の被用者たる服部が、昭和三二年一二月頃本件手形二通を作成偽造した行為が、民法第七一五条に所謂「事業ノ執行ニ付キ」なされたものであるか否かについて検討する。先ず前認定の事実によれば、服部が本件手形を偽造したのは、専ら中島父子の利益を図るためであつて、もとより控訴会社の利益を図る意図乃至会社の事業執行の主観的意図がなかつたことは明らかであるが、民法第七一五条に所謂「事業ノ執行ニ付キ」とは、被用者の職務執行行為そのものには該当しないが、その行為の外形から客観的に観察して、あたかも被用者の職務執行の範囲内に属するものと見られる場合をも包含するものと解すべきであるから、被用者たる服部の前記主観的意図によつて使用者責任を否定し得ないことは勿論である。(最高裁判所昭和三六年六月九日判決参照)

次に、服部の本件手形作成偽造行為が、控訴会社の被用者としての職務範囲内に属する行為であるか否かの点について考察する。前認定のとおり本件手形の偽造がなされた昭和三二年一二月当時においては、服部は既に手形係を免ぜられ、会社諸帳簿の記載事務及び割引手形を銀行へ屈ける業務等に従事していたものであるから、この点のみに着目すれば、服部の本件手形作成行為は民法第七一五条の適用についても一応同人の職務範囲外に属するものと考えられないでもない。

しかしながら、会社の職務執行が数人の被用者によつて分掌されている場合、民法第七一五条適用の前提としての当該行為が行為者の職務の範囲内に属するか否かの判定(使用者責任負担原因としての法律的評価)は必ずしも、会社内部の事務分担を細分した場合において、行為者が現実にこれを為す権限を有していた行為のみに正確に限定せらるべきではなく、同一使用者の事業機構下で右の権限内行為と相当深い関連性を持ち、かつその権限外においてこれを行なうことが客観的に容易である状態に置かれている行為にも及ぶものと考えることができる。けだし使用者は自已の事業の機構内において、かような行為をもその被用者に付与した権限に関連して、事実上その者の客観的支配の下に、又は少くともその支配の濃厚な可能性の範囲内に置いているものであり、結局その行為をその被用者を介して自己自身の支配の下に置いているものと考えることができるからである。右法条の責任は、適法行為でなく、常に不法行為によつて生ずるものであるから、少くとも右の様に解しなければ、他人を使用する事業又は企業の運営に関して当然予期せられる被用者の不正行為につき、適法行為の場合でも善意の第三者に対抗できない権限の内部的制限より生ずる無権限のみを理由として、その使用者責任を不当に免脱せしめる結果となつて、所謂報償責任に基いて一般第三者の保護を目的とする民法第七一五条の法意にもとるものと言わねばならない。

そこでこれを本件についてみると、前認定のとおり、

(一)  服部は昭和三二年五月初まで会計係中の手形係として手形作成準備事務を現実に担当していたものであり、その後手形係を免ぜられたものの、依然同じく会計係として前認定の会計業務を担当執務し、机の位置も別紙図面の机から隣の机に移動しただけで、手形作成事務から無関係となつたことにつき、単に事務分配の変更命令があつた以外には、客観的条件の随伴が甚だ不完全であること。

(二)  昭和三二年一二月当時、控訴会社では代表者を含む五名が約一〇畳の部屋で執務し、その机の配置は別紙図面のとおりであり、会社の会計事務(手形作成準備事務を含む)は服部と笹倉の両名だけで全部を担当し、右両名は机を並べて執務しており、両名の担当事務遂行施設上、顕著な遮断状態がなく、服部が笹倉の担当する手形作成準備事務を擅に行なうことは容易な客観的条件であつたこと。

(三)  服部は昭和三二年一二月当時も、使者としてではあれ代表者の命をうけて割引手形を銀行に屈ける業務を現実に担当して会計係として手形を取扱う点において、手形作成と相当の関連性があつたこと。

(四)  本件手形の偽造は、服部が手形作成事務担当の当時から始められた一連の偽造行為の継続行為であり、これを遮断して継続を不能ならしめるに実効のある的確な処置は執られていなかつたこと。

以上の諸事実に徴すると、昭和三二年一二月当時もなお会計係たる服部において、控訴会社の手形作成準備行為を取扱い得ることが、その本来の職務との関連上、容易な地位に在つたものと言うことができる。

してみると、服部の本件手形作成偽造行為は、民法第七一五条の適用上使用者に帰責せしめるに相当な職務の範囲内に属していたと判定するに妨げなく、結局同条に所謂「事業ノ執行ニ付キ」なされたものと言わねばならない。

(C)  次に、損害の発生について検討する。

先ず、<証拠>を綜合すると、中島栄は、前認定のとおり服部から本件手形二通の交付を受けたのち、昭和三二年一二月末頃、うち一通(甲第一号証の一)を真正なものとして被控訴人金田方に持参し、同人から現金九万円の貸付交付を設け(現金九万円の授受があつたことは当事者間に争がない)その支払のために右手形を父伊三郎の名で裏書譲渡し、他の一通(甲第一号証の二)を真正なものとして被控訴人村井方に持参し、同人から現金五万円の貸付交付を受け、その支払のために右手形を父伊三郎の名で裏書譲渡したこと、以上の事実を認定することが出来、右認定を左右すべき証拠もない。

右認定の事実によれば、本件手形が偽造であつたことにより、被控訴人等は控訴会社に対する手形債権を取得することが出来ず、結局その反対給付とみなし得る前記出捐金と同額、即ち被控訴人金田は金九万円の、被控訴人村井は金五万円の、各出捐金相当の損害を被つたものと言わねばならない。(被控訴人等が右金額以上の貸付出捐をなして損害を被つたことについてはこれを認定するに足る証拠がない。)

そして被控訴人等の右損害は、控訴会社の被用者たる服部が、本件手形を将来流通に置かるべきことを認識しつつ偽造したことに因つて発生したものであるから、服部の行為と被控訴人等の被つた損害との間には相当因果関係がある。よつて控訴会社は、被用者たる服部が同会社の事業の執行について被控訴人等に加えた前記損害を賠償すべき義務がある。

(D)  そこで控訴人の抗弁事実について判断する。

(一)  先ず控訴人は、控訴会社が服部正憲の選任及び事業の監督について相当の注意をなした旨主張する。そして<証拠>及び前認定の事実によると、控訴会社代表者は、昭和三二年五月頃まで服部に会計の手形係を担当せしめていたが、同月初旬頃数日間同人が無屈欠勤をしたので同人を叱責した上、今後問題を起すのを慮かつてその後は手形係を免じ、単なる会計係として前記(A)(五)認定の事務を担当せしめていたこと、控訴会社の手形振出に当つては代表者自ら満期を決定し振出人欄に捺印し他人にこれを代行せしめていなかつたこと、右印鑑は代表者自ら保管に当つていたこと、が認められるが、一方前認定のとおり、控訴会社代表者は服部を手形係から免じたのちも依然会計係として印鑑に極く近い位置で執務させていたこと、服部が昭和三二年二月頃から翌年一月頃に至る間会社事務室内で執務時間中に七、八十枚もの手形を反覆偽造していたことに全然気付いていなかつたこと、従つて手形の不正発行につき格別の警告、禁止を命ずることもなかつたことを考えあわせると、控訴会社はいまだ民法第七一五条但書の免責事由としての事業の執行につき相当の注意をなしていたものとは認めることが出来ない。

(二)  次に控訴人は、控訴会社が「相当ノ注意ヲ為スモ損害カ生スヘカリシトキ」に該当する旨主張するが、以上認定事実によれば、控訴会社が事業の執行につき相当の注意を怠つたことと、損害の発生との間に因果関係がなかつたとは言えないから、右主張もまた採用することが出来ない。

第三、結論

以上の理由により、被控訴人等の本位的請求たる手形金請求は失当として棄却すべく、予備的請求たる損害賠償請求は、被控訴人金田につき前記損害金九万円、被控訴人村井につき前記損害金五万円、及び右各損害発生の日の後である昭和三三年一〇月三日以降完済に至るまで右金員に対する年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきである。

よつて原判決を変更し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第九二条、第九三条を、仮執行宣言について同法第一九六条を適用の上、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官岡垣久晃 裁判官宮川種一郎 奥村正策)

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